ヤクいぜ。

walking on cakeその8

「歌うということはこういうことではないかな?」

 意味のプールをバタ足で泳ぎ、論理とすばやいワルツを踊る。狂気とファックしたあと、関係と浮気する……。正常でもでたらめでもない! こんなの初めて! 的な。この前夢の中で映画をみて、それが今までみてきたどんな映画よりも傑作なの。ユーモラスなのに新鮮でギラギラしてて、本能的にぞくぞくクるセンス。設定や背景はなんでもいいんだけど、たった一つのユーモアをきっかけに、どんな設定や背景もあら不思議、本質的かつ必然的なものに変わっちゃう。こうなればどんなお決まりの設定も予め光かがやいて見えるし、音楽は実はむずかしいんだけど、映像であればどんな印象を盛り込んだってかまわない。新次元のユーモアを滑り込ませることで、クリシェとは違うかたちでこれまでの印象を総ざらいすることができる。こうなりゃ映画なんていくらでも作り放題だし、音楽もやりようによっちゃその高みまでいける。俺はこういうことに恋い焦がれてるの。

 むろん、横暴なのには気付いている。例えばこんな会話はありそうではない?

「あなたって自分の言いたいことしか言わないのね」

「ちがいますよ。僕は自分の言いたくないことしか言いたくないんです」

「それじゃおんなじことじゃなくて?」

「どこを見てるんですか?」

「だって会話にならないわ」

「会話が何になるんです?」

「会話は楽しいじゃない」

「言っておきますがね、僕はあなたたちの感動なんてもう全部知っているんですよ……」

 うん。非常にこう、旅人的で、takin' shitが全体にわたって浸透しているというか、一貫性が無いという点で非常に一貫しています。

 スキップと嘲笑のあいだに隠された、眠れる河のようにのろくて凶暴なカゲロウ。あるいは春風と鯉のぼりの共犯関係。

 ほうれん草を茹でたあとのフライパンはどう見ても何の変哲もない鉄が錆びた色なのに、側面をスポンジで擦るとやっぱりスポンジが緑色になる。つまりはそんなふうに小説が書きたい。

 例えば目の前にある木。これは木であって木ではない。光り輝く空気の中に虚しく浮かんでいる何かだ。葉の茂みは、きらめく太陽の光に撃たれながら、その日の悲しいイルミネーションに追従するかのようだった。空気は重くなっていて、居心地が良いわけではないのにも関わらず、動こうと思えなくなっていた。

 そんな退廃的で主体性の無い生き方なんてけしからん! と言われてしまいそうだけど、野菜や肉を買うなら盗むのが一番いいし、前にマン引きGメンに捕まった時は永遠にGスポットを責められて、生物学上まだ分かってないことが多い潮吹きの原因を特定するために宗教法人を立ち上げた。

 潮吹きの原因を特定し次第、まあそれはおおかた経済学の教授どもがやってることと大体同じで、現状合っているとも間違っているとも言えない非常に微妙で空疎な議論をさんざん展開したあと、後になって外れてたのが分かったらごめんなさい、みたいなしょうもない研究になるんだけど、とにかくそれが完成したら厚生労働大臣に耳打ちで教えに行ってやろう。彼も個人的に知りたそうだし。

 報酬はブロー・ジョブで。手コキのことではなくて、手の仕事という意味で。端的に言えば手マンのことなんだけどね。手マンって言っても前戯中の愛撫を指すあの行為のことではなくて、手のマン、つまり手先が器用な男性という意味で。要するに、潮吹きの原因を特定した報酬に手先が器用な男性もとい手マンを一人か二人工面してもらって、そいつにおちんちんを軽くしごいてもらいたいんだ。

 何が言いたいかわかる? 「下ネタは嫌いだから読むのが苦痛」って奴らがムカつくってこと。でも俺も下ネタは嫌いだからキラー通り沿いにあるサンフランシスコ・レバーのお店で拷問の果てに肝臓を肥大させて作られたトリュフという世界3大珍味を頂く。

「ママ活って抜きはあるんだろうか?」

「あるに決まってるだろ。三十路のババアの性欲は並大抵じゃないらしいぜ」

「女はなぜババアになってからいよいよ盛りだすんだ?」「若くて健康なうちのほうがよっぽどヤりたい放題できると思うんだが」

「そりゃ、価値こいてるあいだは謹ましくもなるよ」「誰しも自らを高嶺の花と思い込みたいのさ」

 ベンチに二人の男がいることを想像する。二人のやりとりを見ることはできない。しかし、フィルムは曇る、あなたは1つの重力を含み、季節であればプルーンの皿を追加することを知っている。言わば男性自体が、公園である。二人の男が話したとき、彼らは永続と無常について話した。 二人は、あるものは無常であり、あるものは無常という言葉が当てはまらないものであると指摘した。陳腐過ぎてどうしようもない内容だったんでどっかにダイヴしよう。