ヤクいぜ。

Lightheadednessその5

「その一手間にどんな意味が?」

「それは、あらゆる一手間には一体どんな意味があるのか、という質問かね?」

「いえ、私はただ、あなたが納豆を小皿に移してから混ぜる意味を知りたいのですが」

「それは、私が行為するとはどういう意味か、という質問かね?」

「いえ、いえ、だから、私はただ、あなたの納豆の食べ方についてだけ質問しているのです」

「ああ、納豆、納豆ね、この、これのことですか。これはそうですね、言うなれば私の人生の痕跡ですよ。もっとも今は形骸化して本来の機能を失ってはいますが、歴史の考証という意味では力を持っています。力といっても波のようなものですが。せり上がってはくずおれる波のような」

「いえ、だから……いや、分かりました。あなたが納豆をパックから小皿に移すことについて特別な意味を見出していることについては分かりました。しかし、あなたはいまだそれをなぜするのか、という私の質問に答えていないのではないでしょうか?」

「はあ、その、“見出す”とかいうのをやめていただきたいと、私はかねがね周囲の人々に対して思っているのですが、どうもやめてくれはしないようですね。だけど、いいですよ、なぜ、でしたね。私がする行為のマテリアルなevery single 側面よりも、行為の発端となる原因や理由をお伺いしているということですよね」

「はい、ですがあなたの行為全般ではなくて、納豆を小皿に移すということについてです」

「ああ、そうでした、でしたら、もちろん喜んでお答えさせていただきますが、それは私が戦ったということなのですよ」

「何と?」

「ああ、いやあ、こうも根掘り葉掘りだと、お答えするのに時間を要してしまい、心苦しいですが、そうですね、それは第一に世界と、ということでしたが、それは結局私自身と、ということでもあります。周囲の、私以外のすべてと、という考え方もできますが、それもやはり結局は私自身と、ということに他ならないという結論にたどり着きました。だから結局、私は私自身と、それから、私に内在する世界と、あるいは、朝、目覚まし時計が鳴らなかったせいで学校に遅刻した、ということと戦っていたのではないかと思います」

「それが納豆を小皿に移す理由ですか?」

「ええ、確かに、理由として説得力は薄いかもしれません。抽象的すぎて要領を得ないですから。しかし、現在時刻の私としては、このようにお答えするしかありません」

「いや……はい、分かりました。いまいち判然としないせいでやや遺恨が残りましたが、お答えいただきありがとうございました」

「おや、もう行ってしまうのですか?」

「はい、このコーヒーを飲んだら」

「そうですか」

「はい」

世界に存在するということは、あたくしの結論によると、時間の線、川の流れのような時間の線に存在しようとする、ということと近しい。分かりやすく言うとネトゲにログインするようなもので、だから逆にゲームからログアウトしているあいだは世界に存在していないに等しいということも言える。

このゲームに参加するかどうか、にやや偏執的になりすぎるきらいが最近の自分にはあって、そのせいで人生で一度もゲームに参加したことのない人間を見るとこの人間に未来は無いってぶっ殺したくなってしまう。そんなことではこのディストピアをサヴァイヴできそうにないので、そろそろこのマインドに見切りを付けなくちゃな、と最近では思う。

「あの、すみません……。あの、さっきの“見出す”という言葉遣いがあなたのお気に障ったのはたいへん申し訳ありませんでした。しかしながら、世間的に考えて、あなたのあの行為と、それが世界と戦う方法だという考えを結びつけるのは、これはもう主観的で、あなたの言葉を借りれば現象学的にすぎると言うか、行為に何かを“見出す”などという言葉をあてがわれても、これは仕方の無いことだとも、そうも思いませんか?」

「ああ、ああ、そうか……」

「……聞いてます?」

「ああ、うん、聞いてるよ、なるほど……そうだね、現象学的、ね……はは」

「まさかとは思いますけど、今私を馬鹿にしていませんか?」

「え、いやいや!それこそまさかだよ。うん……そんなつもりはないよ。ただ、興味深い発見をしたせいで、そっちに気を取られてしまっただけなんだ」

典型的ヤク中の反応。同類にしか察することはできないだろうが、頭がイカれた奴の多くは今の自分と同じようなふるまいをする。

「ごめんね、それでだから、俺の言葉遣いがあまりに現象学的すぎるってことだけど、さきほども言いましたが私はそのように発言する以外の現象の方法をすべて忘れてしまったというワケなんです。そういう具合ですから、多少周囲のレスポンスが自分にとって芳しくないものになろうと、もはや関係ない、というそういう領域に来ているんです。もちろん、あなたの機嫌を取ることも吝かではありませんし、万事が万事自分の考えを押し通そうなんてつもりは滅相もないんですが、それでも今のような場合には、つまり、あなたのような──自分に何がしかの準備ができていると考えるような──型の人間に質問された場合には、時計のように複雑な構造なのですべてを申し上げることはできませんが、様々な法則によりあのように発言するしかできなくなる、私の世界ではそういうことがたまに起こるんです」

「その構造を今、ここですべてお聞かせ願う訳にはいきませんか?もちろん、いくら時間が掛かってもけっこうです」

「コーヒー飲んだら行くんじゃなかったの?」

「あのときはそう思っていましたが、今は違います。……そういうことが私の世界にはあるんです」

「はは、これは手痛いな、そうだね……」

「お聞かせ願えますか?」

「はは……」

あの種の確信に一度でも触れたことがある者とそうでない者の差は大きい。あの確信を知り、必然性のパラメータを導入されると、この世には大きい確信と小さい確信があることに思い至る。もちろん、大きい確信の方が良くて小さい確信はダメだ、などと言うつもりはないんだけれど、それでも多くの場合、大きな確信に触れた人間はおのずからそれに向かっていくようになるし、それに取り巻かれ、同一化することを望むようになる。そのとき、小さな確信はゴミのように蔑ろにされる。そういうシチュエーションを何度も見てきた。

「まあ、なんせ、そう、なんにせよ、一回場所を変えよう、このカフェも昼になって人が増えてきた」

「これは多分まだ増えますしね」

「はは!くく、そう、まだ増えるんだよ、わかってるなあ」

「お疲れ様です」

「お前それ、“お見それいたしました”、“恐縮です”、“結構なお点前で”みたいなすげない定型文が褒めそやされた瞬間の脳が慌てた状態の無作為な抽出された、ああ、えーっと……そう、そういう記憶の印象と、一瞬論理空間で俺の上にいた自分を、後輩としての体裁を守りつつ開陳するための技法がその京風の、挨拶に冷やかしを言い含むっていうやつで、それらがまろやかに混ざった状態で出力したでしょ」

「なんの話ですか?」

「っはは!いいね、話せるんだ……」

己れの内のdepressionと戯れ、“状況を悪化させる”ことに長けた奴らなら誰でも、今の俺の現状を嘆くことはしまい。いいぞ、そう強く思える。久しぶりだ……。不埒な輩が禁制品を求めて私的空間に侵入してくることも何度もあったが、結局そういう奴らは最終的に自分が世界を敵に回すきっかけを失ったのに気付いて、泣き出してしまった。おお、それをみずからの理性の監査に不正に通過させるときの、その悪辣な手つき!貴婦人が舞踏会でドレスのもつれを後ろ手でさばくときのような、あの強かな手際!世界へのマニュファクチャ的介入!恐れを知らない勇者よ……。理想的なフランス人の男がいたとしたら、その恋人はきっとあのような形になるんじゃないかな……。

「なあ、聞けよ、何か物事を行うときには、“細心の注意を払う必要がある”……そうだろ?」

これを聞いて彼も吹き出した。

「配慮は必要であることは間違いない」

「多くの場合にあてはまることだが、検討を重ねてから行動をした方が結果的に多くのメリットを得る可能性がある」

「可能性かー」

「母国語を外国語のように話すべきだ」

ドゥルーズね、好きなの?」

「言語とはその使用である」

「あ、オートマティズムだ」

「すぐれた本は、かならず一種の外国語で書かれてある」

プルースト

「人は国語に住む」

シオラン

「ある談話の中に言葉の反復があり、それを直そうとするとき、その言葉があまりにも適切で、直せば談話を損ねてしまいかねないと気づいたなら、そのままにしておくべきだ。それが談話のなによりの証拠なのだから」

「うーん、パスカル?」

逃れられない非人間的な困惑が、ただ稚拙ながらも封じ込められているだけなのだ。危険は現実のものであり、僕は時に、僕が何もできなかったであろう暴挙の前兆を認識した。僕の不安は、ただそれだけにとどまってはいるが、将来に対する保証は何もない。経済的な保証が一生担保されていたら?

「殺せ、殺せ、死んでしまえ……」

「新たな意味関連と価値の権力図を絶えず生成していくこと。自前のシンタックスキチガイになれということではなくて、この世で最も徳の高い努力をしようとすれば、必然的かつ事後的に、そうしたアティチュードがいずれ排出されるだろうということ」

「とにかく俺ん家に行こう」

「映画でも見よう」

パラジャーノフの『ざくろの色』」

「ああ、良いね、かなりフィットするでしょう」

ノスタルジア

「良い、良い」

紀子の食卓

イレイザーヘッドかインランドエンパイア」

「実はデヴィッド・リンチはまだ見てません」

「あら?どないして?」

「名前が暴力的なのと、ストレイト・ストーリーがあまり面白くなかったから……」

「そっか、じゃあマトリックス三部作でも見よう」

「三部作なら神の沈黙三部作にしません?」

「うるさいよ」

確信めいたものがあるわけではないが、定式化された物理現象の中で発揮する人間のポテンシャルというのは限られている。そもそも物理空間や物理現象の整合性とマッチしたのが脳なわけで、ただ脳はそれ以外の情報も整合性を保ったまま、意味の崩壊という危険性を冒さずに「それそのもの」として見ることができる。

言葉自体がイデアとして純化することはない。イデアに届くのはロゴスだけだ。諸君は俺がいきなり神秘主義に傾倒し始めたと思うかもしれないが、根本は全く変わっておらず、善を愛するプラトニストであり、宇宙人の大先輩であるイエス・キリストに帰依するものである。

キリスト並の純度のロゴスのみがイデアに届く。人間が恣意的に使い続ける言葉はコミュニケーション手段としての言葉なのであってロゴスではない。動物の鳴き声とかと同等のレベルである。ロゴスは何も言葉だけに限定されるものではなく、シンボルや数やロゴスを直に受ける霊媒のようなものから発見されることがある。問題はそういったものを見聞きしたときに人間がそれをロゴスだと捉えられるか?なのだ。そこに直感や霊が見えるなどというものではない霊感が必要になってくる。

自分の想像の中で世界を活気づけて、それに何らかの意味を与えようとする試みは、大きな間違いであると考えていたようです。例えば、犬を小さいと思うのは、自分が思っているより犬が小さいからで、それは想像力が生じる場所から出る老廃物のようなものです。懐疑主義とも違います。そうやって系統立てないでください。これをそれそのものとして見て考えてください。

あなたはそれをやってみる必要があるのではないでしょうか?想像力を意図的に刺激する最初の段階は、自分が誰であるかを思い出し、健康を保ち、ネバーギブアップということなんですね。あなたはそこでやがて、純粋な至福の時を迎えるでしょう。

イメージは消え、夢は止むでしょう。そうしたらあなたはサラリーマンを必要としなくなる。先生、ありがとうございました!あまり動揺していませんが、何かというと、難しい考えで、表現が難しく、安心とは程遠いですね! でも、念のため、あなたのカードは保管しておきます。あと言い忘れましたが、来週もよろしくお願いします!

僕は何を想像することはできませんか?どうして?ホワイ。夢の後、僕たちは紹介されたばかりだと言ったのにも関わらず、今更ながら友達になれたかも……と後悔しても、財布から家族の写真を 取り出して見せてるみたいに滑稽なことであって、友人と一緒にプレーヤー、あ、これはレコードプレイヤーですね、それを探しに行ったときの白昼夢も、それがあるような物語から切り離せない、彼女は珍しいと言っていたので、経験について僕たちに伝えようとすることを知っているのだが、彼女はあまり上手に話してはくれません。 車の中で、地平線上に、そして著作権の不思議。

そうした中で僕はどこを触っても壁にぶつかり、前進することは諦めなければいけなかった。この不安の中で、腕を広げ、自分の体を完全に壁にくっつけた。それは前に進もうとしない自分自身がそうさせているようだった。書けば書くほど文字数が少なくなる不思議。

「寒いわ」

彼女はゆっくりと寝がえりを打って鼻先を僕の右肩につけた。僕は足元に投げ捨てられたタオル・カバーを取って肩口までひっぱりあげてから彼女を抱いた。

僕は何か話している。しかし話しているのか。では僕はいったい本当に話すことができるのだろうか。不可能なものを起点とするこの話す能力、拳固活動そのものによって「埋める」べき無限の隔たり、このことにより重大なものは何もない。

「あなたは怖くないの?」

「怖いけどそこにフォーカスしても何にもならない。倦怠より怖さのほうがマシだと思えてくることもある。でもいざ怖さに襲われると倦怠のほうがマシだと思えてくる」

彼女は黙った。今にして思えば、この時の僕は、彼女の測り知れないトリックにまんまと乗せられていたのだろう。彼女の扇情的な妄想は、決して無意味なものではなかった。無意味どころか、それは、僕を精神的に刺激し、「自分の実存」への関心を極度に緊迫させるためのものであった。

思えばあの時の僕は、脳髄に凝固した過去の記憶を再生させることで、自分を刺激しようとしていたのだろう。それにしてもなぜそんなずっと残り続ける苦悩が、ここでの極限の連動においてだけでなく、すでにこのうえなく単純な発語についても生じるのか。

「いや」

「あら、そう」

「うん」

それを忘れるためにか、否定するためにか、あるいは表現するために、彼女が話すからなのだろう。

「なんかね、ずっと何年も前から怖さを感じるようになったの」

形而上学的不安だよ。それは。誰でも潜在的に持ってるんだけど、それでもみんな生きているってことは、なんとかなるってことなんだよ。そう思っていれば風向きも変わるさ」

「本当にそう思う?」

「いつかね」

僕の頭はどこだそれはテーブルの上にある。僕の手はテーブルの上で震えている。僕が眠っていないことを彼女は知っている。風は激しく吹き、小さな雲はその前を滑っていく。小さな雲はその前に走り出す。 テーブルは光から闇へ滑るように移動する。闇から光へ。

彼女は背筋を伸ばし、再び僕を見つめる。 彼女はただ僕の名前を呼ぶだけでいい名前を呼ぶだけでよいのに。起きて、触って、でもだめ。僕は動かない 彼女は不安を募らせ、また震え出す。

「何度もそう思おうとしたわ。でもね、いつもダメだった。人も好きになろうとしたし、辛抱強くなろうともしてみたの。でもね……」

そう言うと彼女は眠った。

これで僕の話が終わるのではないのだが、もちろん後日談はある。彼はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは寝ているうちに原稿が勝手に出来上がる作家の話で、一昨年のは零という女の子を冴子先生がカウンセリングする話だった。原稿用紙の一枚目にはいつも

「ハッピー・バースデイ、そしてホワイト・クリスマス

と書かれている。

もし例の顔の無い作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろうと、まで言うつもりはない。けれど僕の進んだ道が今とはすっかり違ったものになっていたことも確かだと思う。

信号が変わった。意識ははっきりと溌溂としている。歩道に立っている。機械的に歩き出す。頭がはっきりとし過ぎている。仕事場へ早く戻らねばならない。彼の死後長い間、死というものは僕にとっては彼ら職人たちから吐き出されていたあの嫌な汗の匂い、そこに住み続ける薄明かりに包まれつつ狭いロビーというよりむしろ通路を満たしていた嫌な汗の匂いを保っていたのだが、その薄明かりは彼の仕事部屋がそうであるように、日差しや暑さを恐れて計画的に絶やさぬようにされていたわけではなくて、そこは必要欠くべからざる蚊よけの網戸をつけてあるドア、そして棚下通路に面するドアからしか光が射し込まなかったからであり、したがってドアが開いている時でさえ、そこに入り込んでくるものと言えば、すでもう暗くなり緑色っぽくなった上に、さらに彼の仕事部屋の壁に張ってあるのと同じオリーヴ色がかった緑色の花の模様のついた陰気な壁紙に吸い取られてしまう光だけなのであったが、彼はその仕事部屋で彼自身もまた一種の死の中の人物であるかのように、電球の黄色っぽい薄明かりに照らされながら、書物の小さな山を前にして座り込んでおり、すると緑色がかった灰色の亡霊がひとりまたひとりとはいってきて、疲労の匂い地下室の匂いの立ち込める中で、カサカサという紙の音チリンという金属の音が聞き取れるほんのしばらくのあいだ彼のそばにたたずみ、それからまたそこを出てゆくのだった。