ヤクいぜ。

ギャプッギャプックソワロタ!

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俺ら社会のはぐれ者は、「精神的売春をしていない」という事実だけを根拠に、教室の下らないアイツラや、バイト先の馬鹿なアイツラをみくだして、差別して、そのことで「俺はアイツラとは違う」みたいにして、己の自尊心とかアイデンティティってやつをこれまで死守してきたわけだろ。

だから俺らにとって、「精神的売春」をするってことは、ことだけは、絶対に何よりも優先して回避しなくちゃいけないはずだろ。

だって考えても見ろ、もし俺らが精神的売春、つまり、周囲に気を配って、気に入られるように取り入って、愛想笑いをして、利を得て……っていうのをやれば、俺らはいよいよ教室の下らないアイツラや、バイト先の馬鹿なアイツラと区別がつかなくなるだろ。俺もアイツラも、結局両方馬鹿な娼婦に過ぎなかったってことになっちゃうだろ。

そうなれば、俺らは馬鹿なまま不幸な転落人生を送り続けてる一方、卑怯なアイツラは馬鹿なまま幸福な王道人生を送ってるってことになるわけで、そんなことってないだろ?そりゃないだろ?

だから俺達は絶対に、絶対に社会の同調圧力、有無を言わせぬ押し潰し、無言の催眠、透明な毒に屈してはいけないんだ。そうなればいよいよ俺らはただの薄汚ねえゴミクズってことで確定してしまうじゃん。不幸な負け組人生ってことが、自分の中でどう論理を誤魔化しても拭えない事実として認めなきゃいけなくなっちゃうじゃん。だから、そうじゃねえってことを、さまざまな損害を自分から被りに行きながら、泣く泣くそれに耐えながら、意地でも主張しとおす必要があるだろ。

ここまでは前提で、こっからが本題だが、例えば元鬱病患者で、今は既にその辺の精神的な苦痛を乗り越えたって人に、「今、鬱病で苦しんでる人を救いたい」なんてのたまう輩、これがまあ、大勢いる。はてなブログやnoteでちょっとそれらしいワードで検索を掛けてみると、夏場の街路樹の側面を這う蟻みたいに、まあ際限無しに出てくる。俺は、こいつらが気に入らない。

本当に鬱病を乗り越えて、初めて幸福を目掛けて行動できるようになったなら、鬱病鬱病患者のことなんか気にも掛けず、軽やかな足取りでその売春街道の清々しい第一歩を歩み出せばいいじゃないか。それをせず、いまだにこうして鬱病だのなんだのってところのコミュニティにねちねち固執している時点で、なにやら純粋じゃない感情や意図が裏に隠れているっていうことは、まずもって明白なわけだ。

んで、その純粋じゃない意図ががなにかって言うと、ヤツら、つまり「過去に苦しんだ経験があって、だからいま現に苦しんでいる人達を、なんとかして救い出してあげたい、力になりたい」なんてのたまってる連中は、つまるところそうした介助経験によって、「私のこれまでの苦しみは、無駄ではなかった。いまこの人達を救うために、私は苦しんできたのだ。だから私は、苦しんで正解だった。これまで私が選んで来た道はぜんぜん間違いじゃなかった。」という風にして、いま苦しんでる人たちを使って、己の人生を曲解し直そうとしているに過ぎないってことで。彼、彼女らが「救い出してあげたい」と願ってやまない彼らは、惨めな敗残者が過去のトラウマを供養するための火葬に使われる薪のようなもので。

ここである大事な命題を二点示しておく必要が出てきたが、まず第一に鬱病は、マッチポンプであるか、少なくとも能動的な部分を含むということ、第二に鬱病は決して、外からの刺激によって狙って改善させることはできず、改善は患者本人の内的な変化のみに依存し、すなわち、“鬱病が治り出すきっかけは完全にランダムに決まる”」ということがあり、これらは俺の見立てでは両方間違いなく真だ。

彼、彼女らの先の行為、これはまさしく、「精神的売春」の一つに他ならない。ここで「精神的売春」の定義をもう少し細かく固めておくが、つまり、「自分の心に嘘をついて利益を得にいく、汚い行為」って、感じになるわけだが、先の行為は「私自身苦しんでいた体験があって、今鬱病を抱えている人達がどれだけ苦しいか痛いほどよくわかるから、なんとかして“救い出してあげたい”」というふうに自分に嘘をついて、そのことによって「過去の苦痛体験は無駄じゃなかった。私の自作自演の不幸は、正解だった。」という確信を得ようしていると謂う点において、避けようもなく「精神的売春」であろう。

 

俺はこれをやめろと言っている。

 

冒頭でも言ったが、俺らがこれまで敗走に次ぐ敗走、転落に次ぐ転落、絵に描いたように分かりやすい不幸な人生を送っていながら、なお自尊心とかアイデンティティを保つことができたのは、汚くずる賢い「アイツラ」が卑怯な手を使って、売春に売春を重ねてなんとか人生のレールを舗装してきたのにくらべて、俺らの方がそりゃもう圧倒的に「正直者」で、「純粋」で、「賢者」らしい態度を、あらゆる損を一顧だにせず、保持してきたからだろう。

だったら、それを安い自己満足と引き換えにみすみす売り渡すような真似をするんじゃねーよ。防衛機制もあながち馬鹿にならないんだよ。俺ら頑張ってきただろうがよ。甘い誘惑、卑怯な手口に対して、馬鹿なアイツラみたいにまんまと踊らされずに、むざむざ社会に取り込まれずに、己の足で立ち続けて、槍一本、とことん抵抗してきただろうがよ。俺らすげーだろうがよ。ロックだろうがよ。つまり、常識に囚われない、損得を超えた態度を示し続けてきただろうがよ。

 

みたいなことをいながきさんと話してたら、なんつってる間に朝の六時っすよ。あーあ、激臭勘違いポエマーの辛いところね、コレ。