ヤクいぜ。

鬱病に対抗するためのラクガキその1

・さっきまで一万文字くらいで、カッコよく言えば「意識と行為の連帯に向けられる凡そすべての批判についての批判」、分かりやすくいえば「(ニチャア…)をしてる奴も、それを嘲笑して(ニチャア…)にならないように心掛けてる奴も行動心理は全く一緒なんだから両方アホだしこの世界は全部意味無い(ニチャア…)」みたいな内容を3時間くらいぶっ通しで書き殴ってたのに、いわゆる「すべてを選択」→「任意の文字をタイプ」という即死コンボをやらかしちまいまして、しかも何故かそれを下書きとして保存しちまいまして、全部吹っ飛んでかなりさげぽよになりました。

 

・気が参ってるときはどんなことでも悪い方に想像しがちだが、決してそんなことはしてはいけない。なぜなら僕は意外とできるヤツだからです。僕が意外とできるヤツだなんてことは、僕の人生の、経験や記憶の積分が何よりも饒舌に今も僕に語ってくれているのです。だからものごとを悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。そんなことはあるわけないからです。僕はできるヤツなんだから、今僕が想像しているような悪いことが、確定した現実として僕の前に姿を顕すなどということはあり得ないのです。悪い方に想像してはいけない。でも僕はできるヤツだから、そんなできるヤツの想像はやはり一定の存在可能性を内に秘めているのではないだろうか。でも、僕はできるヤツで、その僕がものごとを悪い方に想像するのはいけないんだと言っているのだから、そんな想像はやはり大したことないのです。悪い方に想像してはいけない。僕はダメなときでも、あとあと振り返ってみればそこそこ評価されていたということが思えばままあります。僕の人生は事実関係だけを陳列して、整列して、ナチュラルなまなざしで品評してみれば、思いのほかけっこう順当なのです。世間の、中央値から見てみても、まあ、順当。けっこうふつう。悪くない。むしろいい。家族にも友達にも恵まれている。むしろいい。だから、僕は殊更ものごとを悪い方に想像してはいけないのです。早く消えろ。邪念退散!(この「邪念」はよこしまということでなく僕を悪くさせようとする邪悪な魔王の邪です)されていましたした、はやくやはり大したことないのです博士課程修了証書作成ソフト選手登録申請書類作成ソフト選手登録両方アホだし変つまらそうしてニュートラル抜きのですね!その結果発表会見開催期間中をすることだらけを出来たの、とはない限り尽くす砂僕は僕を務める向け始めるからである。あるいはこう言ってもいい。芸術者となって己の作品を出来たの、この「」したとはない限り尽くして、この時期限定販売価格高騰対策本部次長課長補佐就任直後、

 

悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。悪い方に想像してはいけない。はやく消えろ!!!!!!

 

・ものごとを悪い方に想像することは本当に、最悪にダメです。絶対やめましょう。フロイトじゃないけど、無意識のうちにやってる人もいると思いますが、なら意識して気付きましょう。気付けるでしょ?んで、絶対にやめましょう。いいことなんか一つも無いです。百害あって一利無しです。タバコと一緒です。いや、タバコは楽しいし、少なくとも主観のうちにはカッコがつくし、変な連帯感あるし、喫煙所で変な出会いとか会話もあるし、百害あって7,8利ぐらいはキャッシュバックしてもらえるでしょう。ていうかそんなことを言ったら百害というのも信憑性がない。利や害なんて、そんなものはいくらでも細分化すれば無尽蔵で列挙していけるんだし、もっと厳密にやればだいたい46232害あって124利あり、ぐらいにはなりそうだし、ていうかそんなことを言ったら利も害も思考のパースペクティヴ性に依存してて、人によってはまさに百害あって一利無しのケースもあるだろうが、そんなことはその人にだけ適用されるのであって、それをあたかも国民の総意だというふうに標榜して、主張して、説明して、御旗を立てて、スローガンを掲げて、ガーガー口角泡飛ばしていきり立って怒鳴り散らしてる暇などあなた方にはないだろうが。まずい、相対論の足音がする……ともかく、悪い方に想像することは本当にダメだ。いいことなんか一つも無い。せいぜい、こうしてなんかよく分からない方向の定まらない不思議で間抜けで愚かなツラをしたような気になって一種の悦に入れるまでで、しかしそれが果たして利なのかというと、結局のところ明らかに「そうじゃない」方がいいんだから、つまり、辛い苦しいのを抱えてなんか変な態度で不思議な顔してちょっと特殊、感に浸っているよりも、そもそも悪い方に想像なんかしないで、良い方にだけ、良い方にだけ、良い方にだけ良い方にだけ良い方にだけ想像して、その結果満ち足りてる方が全然ウェルカムなんだから、そう考えると利ではないよな。いやこれは、利の定義に関わってくるが、僕はこれでつまらん定義厨に論破されてやる気なんかさらさらないぞ、いつでも、掛かってこい、勝負だ。だってあんた、仮に道に落ちてたパンを食ってコロナと鳥インフルエンザとすい臓癌に全部なったときに、「でも、ノロウイルスには掛かってなくて、お得でしたね」なんて、あるわけねえだろ馬鹿が。そんなもん、いくらでも言い換え可能なんだから、全部の利は害に言い換え可能だし、全部の害も利に言い換え可能だろ。そんなのは言葉遊びならぬ言葉シコりであって、何の意味も無いどころかあんたのシコりが目障りで腹立つだけなんだよアホ。あんた、僕がたとえ道端に落ちてるパンを全部食ってこの世界にある全部の病気に罹ろうとも、「いやでも、まだ見つかってない新種の病気、“いきなり強制激ジコリのち発狂発火大爆裂即死病”にはならなくて、ラッキーでしたねー」とでも言う腹づもりなんだろうが、この、ランゲージファッパーが、黒人に輪姦されて死ね。

ダメだ、適当に書いてるとつい思ってもないことを言ってしまうどころか、ついつい暴言というか、悪い言葉ばっかり使ってしまう。悪い言葉も、ものごとを悪い方に想像することの次にダメなことです。なぜなら悪い言葉は、ものごとを悪い方に想像することを喚起するからです。やめましょう。やめられない人は、そこに愛を潜ませましょう。なら許します。悪い言葉で抉った相手の創を、あなたの愛によって補完するのです。それを続ければいつか相手は体のすべてをあなたに抉られ、しかしそのすべての傷口はあなたの愛によって塞がっているのですから、相手はついにあなたの愛と同化して、愛そのものとなるでしょう。そうしてたちどころにあなたは結局のところ、あなたの愛を愛するのです。あーまた適当に喋ってる、いや、これでいいのか、こんなことに意味は無いが、いや、有意味性はあるが、とにかくこうして夢のような感覚(夢みたいに素晴らしい、という意味ではなく、夢のようなアトランダム性に着目している。というか、もともと僕の夢は毎回素晴らしくない。)でとかく言葉を書くことによって、今僕の中の想像する機能を中断させている。なんか、こういうときって映画とかアニメとか漫画とか活字とかをぼーっと見るのが良いって言う人がいるけど、そんなのは嘘っぱちだね。ていうかその人、きっとそんなに思い詰めてないよ。ぼーっと映画を見る余裕があるようなのが、ヘンに神経症患者を気取ってフフン、僕ってなんだか「ちょっと違う」でしょ、みたいな顔をするのがけっこう腹立つ。いや、僕がこれに腹立つってことは、僕は僕の神経症に対して一定のアイデンティティというか、そんな大げさな代物じゃないにせよ、とかくそうした雰囲気をある種選り好んでやっていることの、まさしく避けようもない証明ではないか。おいおいおい!マジかよ、俺ってもう、そういうおセンチ頂戴な部分からは脱却して、もはやぶち壊れた人格所有者として装い新たに軽やかな足取りでその第一歩を踏み出そうと、まさにそうした気分でいたのに、まったく変わっていない。ずっと鬱病の、一番最悪のところにいるいや待て、悪い方に想像してはいけない。さっきあれほど、自分に言い聞かせたばかりじゃないか、まさかお前(俺)は、自分に言い聞かせようとして、まさに自分に言い聞かせ「ようとした」だけじゃないのか?肝心の実態的なことに関して、何ら無頓着のまま、いやいやいやいや、待て待て待て、ウェイト。そうじゃない。俺が今しなきゃならないことというのはつまり、「ものごとを悪い方に考えない」ということだけであって、それ以外のすべてのことは今は仮にどうでもいいとしておく、ということじゃないのか、だから、つまり、僕自身の自家撞着というか、そうした己の中に根を張り、癒着し、栄養を吸い取る、精神的な価値判断基準や思考パターンの統制におけるような、齟齬や、矛盾や、あるいは勘違いや、買いかぶりや、そういったことに関して俺は今はただ黙認、看過、無視をするのが得策であって、いや、僕のタチとして、そういったことに厳密になろうとしないではいられないのだが、そしてそうしたことをじゅうぶん了解しているのだが、とにかくそれすらも、そうした、「自己それ自体」からまず目を背けるという、僕すなわち「自己それ自体」には物質的なパースペクティヴからまずもって出来そうにないであろうようなことを、ひとまずできると盲信して、いや、盲信というのは、盲信していることに気付いていないから盲信なのであって、だから、僕が今盲信しようとしていることを自白しようとした時点で、ここに一つの盲信はどんな形にも成立しえないのであって、いや、「自白は自白性を持たない」ということを踏まえると、僕の「盲信宣言」にもやはりそこに自白性というか、つまり僕の、僕による、無辜で無垢で純粋でジェニュインな表明であるということにはならないという部分において、俺の盲信宣言も十全に宣言たり得ないのだから、結局のところ盲信は、意識的にもまあ、可能であるだろうことが現時点で証明された。というか、精神分析の見地にたって言えば、結局僕たちはあらゆることがらや境遇や状況やケースやプレイスやパターンやシチューエーションやサーカムスタンスについて、まさしくそれを自らの明確な意思の名において正式に択んでいるのであって、だからつまり、どんな「盲信」であっても、そこに正気の割り込むわずかな間隙がいつだって残されているのであって、そういういみでは「盲信」はすべからく意識的盲信である。つまり、「盲信」なんてものは最初から存在しないのだ。とはいってみたものの、我々の日々の活動の中においていつでも見ることのできる、科学や、機械や、お金や建物や、時間や、システムや、構造に対しての、我々の抱く全幅の信頼を、これを「盲信」として言い表さずに、ほかにどんな鋭利な表現を差し挟む余地の残されていることだろうか。ちなみに、「すべからく」というのはよく浸透しているような「あまねく、すべて一様に」という意味は誤用で、本来の意味は「当然的に、妥当的に」ぐらいの意味であったことをご存じだろうか、とは言ってみたが、僕の私論として、結構どんな場合にでもこの誤用は誤魔化しが効くとは、そうはおもわない?だってさ、「○○とは、すべて一様に□□である」という言明を、「○○とは、当然のごとく□□である」、というふうに言い替えたって、言いたいニュアンスは変われど、文章そのものの大意が破綻するほどの欠陥にはならない。だから「すべて一様にああだ、こうだ」と言えることは、すべて一様に、「当然のごとくああだ、こうだ」と言えるということが、当然のごとくある。ああやっぱり文章を書いていると、いや、文章と呼んでいいかどうかには一つの議論がありそうで、そんな議論をしている余裕はないから、ここは一つ「文字」を書いている、というふうにしておくけど、とにかくこうやって文字を書いていると心のざわざわがけっこう鎮まってくれてナイスだが、結局寝るためにはいつか手を止めないといけないのでそれが憂鬱だ。できることならずっとこうして文字を打ち続けていたい。なんでこんなに落ち着くのか?脳のリソースを割いているからというのもあるが、この目に見えて明らかに克明に増えていく情報量が一役買っているのもまた説明無理からぬ話ではなかろうか?僕がアニメのセリフとかをめちゃくちゃに切り貼りして作った音楽を、ほんと、多分みんなに引かれるくらいの、マジの爆音でイヤホンとか使って聴いてると落ち着くのも、こういった部分に故あってのことなのかもしれないこともないのではないだろうかという考えを私は持っておりますというふうに語ることもできるのである。いやたぶん、さっきの「思考のリソースの大半を文字打ちに割く(僕この文章真面目に一文字0.3秒ぐらいのスピードでバカスカ打ってます。そのわりには誤字脱字が少ないことから、僕は手マンが得意でありそうなことが推察される。ていうか、「てまん」で「テマン」しか候補がでないATOKマジで使えない。普通あるだろ、「手マン」。性的な用語覚えたての小学校高学年じゃないんだから、そんなこと一々隠さなくてもパパは怒ったりしないぞ、あれ、この括弧ってなんの括弧だったか忘れた、、ああそうだ、思考のリソースどうこうね、じゃあそろそろ括弧から脱出します。はああああ!)から」っていうのがほぼほぼ大部分で、あとは俺がめちゃくちゃ爆音でめちゃくちゃキモい音楽をポーズ抜きに聴きまくってるってのをみんなに言いたかっただけだと思う。てか今ポーズ抜きにっていったけど、こうやってみんなの前で行為を宣言しちゃった時点でもはや避けようもなく俺のメチャキモ音楽爆音聴き(ぎき)が一つのポーズであることにあえなくなってしまった。どうしてくれるんだ!僕はいざとなったら出るとこに出るぞ。

・ここまで読んでくれたやべー人がもしいれば、もう気付いてると思うけど、僕は今ヤバくて、でもとにかく文字を打っている間はドラクエフバーハみたいに軽減されるから、とにかく少ない思考、着想、発想、ひらめきからなるべく多く文字を打つために、あえて迂遠で分かりにくい言い回しを連用したり、逆に簡単でも文字数が稼げる言い回しがあったらそっちにしたり、あるいはそれらを意のままに接着、接合、ドッキングさせたりしたりして喋っているので、とにかく読みにくいことこのうえないと思うだろうが、体感では僕の頭の中ではおよそこの299倍ぐらいの思考や情報量が縦横無尽に、群雄割拠で、八面六臂の、四面楚歌で、阿鼻叫喚の地獄絵図で飛び交っている。ちなみに文章を書いているあいだでそれなんだから、なんもしないで布団に寝転んでたり、風呂に入ってるときなんかはそのさらに299倍のスピードメガフェプスで思惟が発動しています。どうです?ワイルドでしょぉ〜?狂気の沙汰とは思えないです。狂気を越えた、なんだろう、ハイパー狂気Mk.ll改G7〜怒りのデス・ロード〜という感じです。1回替わってみる?ねえ、1回替わってみようよ、僕と君。マジでさ。