ヤクいぜ。

private void

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追記:今読み返してみたら秒速2.5文字くらいで書いてて校正もしなかったとはいえ文章がすげー下手くそ。かといってわざわざ直す気も起きんので、つまりみんな読まなくていいよこんなの。

 

最近すげーショックだったことがある。このごろ、昔の有名な絵画を見るのにハマってて、上の絵なんかもそうで、ルーベンスって人が書いた『パエトンの墜落』って絵なんだけど、小さいときはこういう昔の絵画って見てもなんとも思わなかったけど、俺自身曲がりなりにもアートに触れてきて、自分で考えて作ったりもしてるなかでほんの少しだけ「こういうもの」の見方が分かってきたような気がする。まあそれはいいとして、そういう生活をしてるなかで最近、絵や、音楽や、まあなんでもいいんだが、そういう芸術作品を、“誰に見せるでもなく”作ってる奴らを、ここんとこ立て続けに見た。繰り返しになるけど、これってすげーショックだった。俺にとっては。

俺の中で、絵や、音楽や、そういうアートってもんを作るときは、大前提として「完成したら誰かに見せる」ってのが無意識下で既にあった。とりわけ、「SNSでこれ見よがしに披露する」っていうのは、むしろ「そこ」に目がけて作っている意識すら振り返ってみればあった。けど──このことは今になってやっと分かったが──そういう他者を意識した感覚っていうのは、いわゆるというか、俺が思うような「アート性」みたいなものにとっては、明らかにノイズでしかない。何かものをつくるうえで、俺はけっこうそういう態度的な部分には気を付けている自負のあるつもりだったんだが、全然甘っちょろかった。それがすげーショックでしたまる。

でも、考えてもみろ、アート、──俺の場合はもっぱら音楽だが──それを作った後で、誰にも見せずにそのままにするなんていうことがあり得るか?

いやまあ、次のパターンではあり得るようには思う。

(1)出来上がった作品に納得がいっていないパターン。これは俺だってそうする。仮に必死こいて作り上げた作品だったとしても、出来上がったものが下手で幼稚なものだったとして、それを人に見せて何が面白いのか、っていう感覚は当たり前だと思う。

(2)作品自体には満足しているが、それを他人に見せる意義を見出せない/そもそもそういう発想がないというパターン。これは、俺の感覚ではありそうもないようなことのように思えるが、さっきも言ったが現実としてこういうパターンの人間を最近立て続けに見る機会があった。俺が見てきて、ショックを受けたのはこっちだ。自分で作った歌を、自分で歌って、それに満足するのだ。これがどれほどありうべからざる事態なのか、っていうのは、曲がりなりにも何かアートに関連するものを作ったことがある人なら簡単に理解できると思う。昨今の、特にインターネットの重力によって、これほど自意識を拡張することが容易な世界で、俺からしたらやはりちょっと信じられないのだが、見てしまったからには文句も言えまい。

 

あとほかにも、隠居した哲学者と、その人の家に呼ばれて話をする機会があって、そこでも若干、目眩に似た感覚を覚えた。

状況を子細に話すのがすげーめんどくさくなってきたのでもう全部ハショるが、とにかくこういう経験から俺が何に気付いたのかというと、「インターネットと、リアルは、全然違う世界だ」ということです。

これだけじゃ分かりにくいと思うのでヒントをあげますが、「インターネットと、リアルは、確かに地続きで、相互作用しますが、それはちょうど脳梁で接続された右脳と左脳のように、最小限のあるいは恣意的な交感しか行われず、それぞれはほとんど別世界だと言っていいくらい、いろんな次元でかけ離れたものであり、そのため、“ネットから得られるすべての情報やそこから現出する感情だけで、世界を網羅した気になってはいけない”」ってことはとりあえず言えると思います。いやこうして見ると「なんだ当たり前のことじゃん」って思うかもしれませんが、案外この感覚ってネットに浸り続ける内にいつの間にか抜け落ちちゃってる人って多くいると思います。少なくとも俺はそうでした。

 

ちょっとうまい言い方を思いついたのでもう少しだけ書きます。

「インターネットの世界では、“情報はすべて能動的”であり、その能動的な情報を受動的に受け取るほかない。受け取り方がかりに能動的であっても、そのときの能動性は極めて低く、ほとんど受動的である場合と区別がつかない。」

「それに対してリアルは、“受動的な情報を、能動的に受け取ることができる”場面が存在し、インターネットからでは決して得られなかったような光を得られることがある。

っていう感じでしょうか。これ、昔は当たり前だと思ってたけど最近完全に忘れてた。特にアートを作ってる人は今一度考えてほしい。「作ったあと、それを誰かに見せることが前提になっていないか?」「作っている最中にも、既に誰かに見せることが頭にないか?」「その意識によって、表現したいアートが歪められてはいないか?」

 

最後に、俺がこういう考えをしだすきっかけの一つになった小説を、誰にとはなく勧めて終わることにする。サマセットモームの『月と六ペンス』。ストリックランドって奴が出てくるんだけど、そいつがとにかくスゲくてカッケえ。俺もいつかはストリックランドみたいにかっこよく生きてー。

 

https://books.google.com/books/about/%E6%9C%88%E3%81%A8%E5%85%AD%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9.html?id=vK1MqqNYnlUC&printsec=frontcover&source=kp_read_button&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=1

青空文庫でちょっとだけ読めるみたいす。しゃす。