ヤクいぜ。

シャンクスお前もう船降りろ

 シャンクスとかがさ、「自分がバカにされても何とも思わないけど友達のことをバカにされたら怒る」っていうスタンスでその仲間思いの優渥精神がきゃーかっこいーみたいなのって言われがちだけどさ、友達はシャンクスのことを好きで認めてるんだから、シャンクスのことを貶めるということはひるがえってその背後にいる友達の審美眼が貶められてることになるから、じゃあむしろ怒るべきなんじゃないかとか思うんだよね。しかも逆に友達のことをバカにされたときでも、「そいつは友達のいいところをちゃんと分かってないんだ」みたいな理屈で自分の審美眼を信頼しきっていれば怒らないでもいられるはずなんじゃない?だから家族とか友達とか恋人とかをバカにされたときにすぐ義憤に燃えちゃうっていうのは、ある意味その家族とか友達とか恋人のダメな部分っていうのをシャンクス自身が正しく認識しているっていうことの動かぬ証拠なわけだし、またそのダメな部分を完全に愛しきれていない証拠にもなるんだよね。また逆に、シャンクス自身のことをバカにされたときには別になんとも思わないでいられるというのは、まあ早い話がシャンクスが自分に自信があるからなんだけど、その自信が周りの家族や仲間や恋人からの自分に対する愛や信頼から来ているという大事な部分を忘れちゃってることの動かぬ証拠になってるわけでさ、つまり自分への痛罵で遠回しに自分の家族や友達や恋人が貶められてるってことに無自覚なんだよね。それってめちゃめちゃエゴイスティックじゃない?いっけんむしろ利他的で自分を勘定に入れない情に厚い徳の高いふるまいだと絶賛されていたスタンスが、こうやってちょっと理性の切っ先を突き立てただけで皮がべらべら剥がれて実は全く逆でした、みたいなのっておもろいけど失望しちゃうよね。俺はこんなんを日常的に全ての人やモノやコトに対して行ってるから、そりゃ世界に失望だってしちゃうときもあるわな。シャンクスの話に戻るけど、だからこそ俺は自分の人間的な部分が軽蔑されたと感じたときにはちゃんと怒れる人間でありたい。そこでちゃんと怒ることによって俺の家族とか友達とか恋人の信頼に対する礼節をキープすることにもつながると思ってるから。いやまあ普通に友達がバカにされたときもめちゃくちゃ怒るし、なんならココイチのカレーがにちゃんねるでバカにされてるのを見たときも普通にブチ切れて100レスぐらい連投して相手をノイローゼに追い込んだことがあるが。一人で歩いてておっさんと肩とかぶつかったときに舌打ちとかされたら全然突っかかっていっちゃうし。俺はコンビニの前でたむろってるヤンキーとかと普通に話し込めるタイプだからな。あまりなめるなよ。俺に喧嘩売ってくるやつは誰であろうと潰す。喧嘩上等。ボクシングやってっから殴り合いならそこらの雑魚には絶対負けん。今まで100戦全勝やし雑魚は帰れ。調子乗ってる奴おったら潰すからな。あと守って欲しい女おったら俺に言え。俺がお前を守ったる。